菊酒のいわれ


 白山市の手取川の上流には、昔からイワギク、リュウノウギク、ヤマシロギクなどの野生菊が群生しており、その滴りを受けて流れる手取川の水は菊水として尊ばれていました。

 菊水が尊ばれるのは中国の仙道の影響で、菊の滴を集めた水は特別の力があり、不老長寿の薬になると信じられていたようです。

 つまり、この菊水で醸造した酒なので菊酒と呼ばれているようです。

 宮中では、長寿を願い災いを払うため、「重陽の節句」に菊花の宴が開かれ、群臣が詩歌を作り菊酒を賜ったそうです。

 歴史を紐解くと、山科大納言の日記に「大永7年(1524)4月、白山長吏が土産としてはるばる京都へ菊酒を持参した・・」とあり、また、太閤記には、慶長3年(1598年)3月、秀吉が「醍醐の花見」の宴を催した際、諸国の銘酒が集められましたが、その第一に加賀の菊酒が挙げられたと記されております。